こんにちは、あきです。
最低限度の人間らしい生活を送るためにお金は欠かせませんが、お金が沢山あればあるほど幸せかというとそうではない気がします。
実際にそれを強く実感した話と「お金が沢山ある=幸せではない」という話について書いていきたいと思います。
この記事のテーマは「お金と愛、どっちが大切か!」みたいな極端な話ではなく、「お金があればあるほど幸せに直結するわけではない」という感じのテーマなので、それを念頭に置いた上で読んで頂ければと思います。
今年の6月から一緒に住み始めた祖父(父方)の毎月の年金額は24万円です。
それに対し、祖母(母方)の毎月の年金額は約3万9千円です。
毎月貰っているお金がだいぶ違い、年金額だけを聞くと祖父の方が幸福度が高いように思えるかもしれませんが、実際のところは全く逆だったりします。
幸福度というものは数字などで正確に測れるものではありませんが、両者の話を聞いている限り、祖父はいつも「お金が無い」「いいことが無い」「楽しくない」といったことを頻繁に言っています。
祖父が「一人で住むのは寂しい」と言っていたらしく、(次男である)父がローンを組んでこちら(愛媛)に新築を立て、孫である僕と母が岩手から愛媛に引っ越して一緒に住んでいるにも関わらず、上記のようなことを口癖のように言っているわけです。
批判とかじゃないよ(^^;
幸福度の話をする上で欠かせないので!
周りから見たらどうみても恵まれていると思うはずです。
祖母はというと、「今が青春」「楽しい」「自分は恵まれている」といったことをよく言っているそうです。(母から聞いた話)
明らかに貧困状態である祖母の方が幸福度が断然高いです。
そんな両者を見ていて「お金が沢山ある=幸せではない」ということを改めて実感したので、そのことについて深掘りしていきたいと思います。
お金が沢山ある=幸せではない【年金が超少ない祖母の幸福度が高い話】

年金が少ない祖母にお金を送ろうと思ったキッカケ(超少ないけど)
僕は社会不安障害(対人恐怖症)という病気で障害年金というものを貰っている身です。
精神障害2級なので、1か月に換算すると6万5千円貰っています。
障害年金がどういったものかについては以下の記事で解説していますので、よかったらご参考下さい。

「障害年金」を簡単に言うと、障害があって仕事をすることが困難だと判断された人が受け取れる年金のことです。
障害年金を年金の支払いや奨学金の返済、生活費に充てているのですが、今年の10月から2か月に一度、祖母(母方)に5,000円を送ることを決めました。(障害年金の受給日が2か月に1度なので)
僕は20歳くらいの頃から、広告やテレビを観て購買意欲を煽られて本当は必要のないものを買わされるより、本などの知識、家族との思い出などにお金を使いたいと思うようになりました。
偉大な投資家や経営者の本や記事を読むと「お金持ちはお金の無い頃から寄付を積極的にしている人が多い」というのを見て寄付をしてみようかなと考えることが多かったのですが、あまり行動に移せずにいました。
理由としては以下の2点です。
- めんどくさくて、どうやったら寄付できるのかを調べていなかった
- 他人のことより自分や家族のことで精一杯
自分はアフリカの恵まれない子供たちに心の底から寄付をしたいと思ったことは、正直に言ってしまうと無いです。
それよりは日本に住んでいる貧困の子供たちに寄付をして自分のやりたいことややるべきことができるようになってほしいというのが本心です。
しかし、そもそも自分で自分の生活費を稼げていないし、まずは他人よりも自分や家族の生活を豊かにすることを今は優先させるべきだと考えています。
だからというわけでもないのですが、先日、母から以下のような話を聞いたことが、祖母に少しでも生活費を送りたいと思ったキッカケです。
年金の支給額が2ヶ月で約78,000円
1ヶ月だと39,000円
団地の家賃は7000円(現在はお金はかかっていないらしい)
電話代3000円以下に抑えてる
一時期、母が祖母に「生活保護受けたら」と言っていたこともあるくらい本当にお金に困っている生活をしているはずなのですが、生活保護を申請する際、身内に「あなたは金銭的な援助ををすることができませんか?」的な通知が届くこともあり、「絶対に受けたくない」ということを言っていたそうです。
祖母が受けるべき生活保護を受けないなら、僕が貰い過ぎている障害年金を祖母に少しでも送ればいいや、といった感じで考えています。
10月11日に上記のことを聞いたので、障害年金の支給日である14日に母の口座から祖母に送金してもらいました。
自分は障害年金をもらっている身ですが、親のすねをかじって恵まれた生活をしている自分よりも少しでも祖母の困窮した生活の支えになればと正直に思ったので行動に移すことができました。
自分で自分のこともろくにできていない僕がやるようなことではないかもしれないのですが、気持ちが伝わってくれるだけでもという思いです。
お金の多さと幸福度は比例しない
祖母は本当に生活に困っているはずなのに、お金のことを一切あれこれと話したりはしません。(少なくとも母以外には)
しかし、毎月24万円の年金をもらっている祖父(父方)の方は正直、お金の話を結構します。(孫の僕にも)
お金に執着することやお金の話が好きなことは自分もそうなので悪く言える立場ではないのですが、その両者を見ていても実際の研究に基づくデータでも「お金が沢山あっても幸福度は変わらない」ということが分かっています。
お金が無くても幸せなのかというとそれはまた別の話で、衣食住に困るほど生活が困窮していれば幸せではないと言えますが、お金があればあるほど幸せになるわけではないということも調査で分かっています。
世界で一番幸福度の高い国はフィンランドなのですが、フィンランドが世界で一番豊かな国かというとそうではありません。
世界の豊かな国ランキングでフィンランドは26位です。
幸福度の方は2年連続で1位みたいです。
幸福度のランキングでは北欧諸国がトップ10の半数以上を占めているのですが、豊かな方のランキングで上位を占めているかというと全くそうではありません。
豊かさのランキングで1位を取っているカタールは幸福度ランキングでは29位です。
豊かさランキング2位のマカオの幸福度ランキングは探せませんでした…。(少なくともトップ10には無かった
ちなみに、医学などでは幸福度を正確に測ることはできないので、チェックリストに応える形式で測っているようです。
当たり前のことですが、「自分は幸せだ!」と思っていることが本当の幸せなので、なんか高度なことをして幸福度を測るとかはする必要無いんですよね。
それが幸せの定義かなと思っています。
ちなみに、高須幹弥先生(高須クリニックの人)によると、年収1000~1500万円くらいまでは幸福度が上がるようですが、それ以上はあまり変わらないみたいです。
僕がよく聞く話だと、年収700万円以上は幸福度がほとんど変わらないそうです。
お金が無くてもなんとかなる(ことの方が多いと感じる)
上の方でも見てもらった通り、金銭面がなかなか絶望的な祖母ですが、毎日楽しくて仕方ないらしく、周りの人間関係にも恵まれています。
人柄の良い祖母の周りには仲の良い友達が数人いて、少ないながらも父や母が時々お金を送っているようです。
これは決して祖母がお金を要求しているとかではなく、周りにいる人たちが心の底からあげたいと思って祖母にお金を渡しています。
お金に執着しすぎて人からの信用が無くなってしまった人がお金が無くなった時どうなってしまうか分かりませんが、多くの人はお金が無くなってもどうにかなってしまうことの方が多いと思います。(日本というある程度恵まれた国だからということもあると思いますが…)
僕自身もお金が無くてもなんとかなっちゃってます。(周りが大変だと思いますが…)
「年金と奨学金が払えない!どうしよう!」という時に障害年金の話が舞い込んできたこともあり、本当に困ったときはどうにかなってしまうもんなんだと実感してしまいました。
お金で幸せは買えない【一時的な快楽は買えるけど】

人間はお金を持っているとどうしても贅沢をしようとします。
お金を持って入れば持っているだけ使おうとすることがほとんどです。
お金を沢山持っていれば衣食住には困らないし好きな物を買えます。
しかし、頻繁にカウンターで美味しいお寿司を食べていては飽きますし、贅沢品を沢山買っても感動が無くなります。
その瞬間だけは快楽物質がたくさん放出されて気持ちいいかもしれませんが、その状態(美味しいお寿司を食べること、ブランド品を買うこと)に慣れてくるので、脳はまた次のものを求めます。
もっと高い物を求め、さらに高い物を求め、虚しささえ感じると思います。
お金持ちのこのような状態を、「覚せい剤と同じ」と高須幹弥先生(高須クリニックの人)は表現しています。
もっと強い快楽を求めて量が増えていってしまうように、もっと高いものを求めると思いますが、そこには自分の求めるものがなくて虚しさだけが残ると思います。
楽しいことを先取りしている状態なので、その物が無くなると楽しくなくなってしまいます。
本当の幸せはお金で買うことはできません。
僕はお金があることで不幸になってしまうことを避けることができると考えてはいますが、お金でほとんどの幸せは買えないと思っています。
お金があればあるほど人が寄ってきて友達や恋人ができたり、若い人と結婚できるかもしれませんが、自分の内面ではなくお金が目的で寄ってきた人と一緒にいて、幸せを感じるかというとそうではないはず。
さらに、ある程度の物はお金で買うことができるかもしれませんが、顔(整形でも限度がある)、身長(これも靴や手術などでは限度がある)、家族(本当の絆はお金では買えない)などはお金で買うことはできません。
お金に執着していると幸せになれない【他人と比較しない生き方】

衣食住に困るほどお金が無いと家族の仲は悪くなってしまうと思いますが、お金があり過ぎても家族はバラバラになってしまうはずです。
というか、小さい頃超貧乏な生活をしていた芸能人たちが楽しそうに思い出エピソードを沢山語っているのを見ていると、お金がありすぎるよりはお金が無さすぎる方がまだマシなのかなと思ってしまったりします。
何度も言いますが、お金は最低限度人間らしい生活を送る分は無ければいけないのですが…。
僕が通っていた小学校・中学校の周りの子たちの親は医者や薬剤師、公務員がという人が結構いました。(公務員はあくまで安定している(感じの)職業なので、お金持ちには分類されませんが。)
その子たちが幸せそうだったかというと医者の子供も薬剤師の子供も公務員の子供もみんな「あの人の家はお金があって恵まれている」「うちは貧乏」「兄弟が多いから大変だ」ということをまあまあ耳にしていてうんざりしていました。
一般的に見るとそういった親の職業は羨ましがられるものですが、実際にその子供たちが幸せを感じたり親に感謝しているかというと、そうではないように僕の目には映りました。
実際に僕の父の年収は1000万円を越えていますが、世間が思うような生活(贅沢な食事や家、旅行、高い教育)をしているかというとそうではありません。
母と僕自身が色んな病気があるので医療費が結構かかるというのもあり、父は沢山のローンを抱えながら一品のおかずを楽しそうに食べていますが、話を聞いている限りだとかなり高い幸福度を感じているように思います。(本人の口から幸せだと聞くことが多いので)
お金を持っているとどうしても塾に通わせる親が多く、子供と一緒にいる時間が少なくなってしまいます。
お金があれば子供に好きな物を買い与えたり沢山お小遣いをあげたりし、自分の元から離れやすくなってしまいます。
一般的には医者や薬剤師、年収1000万円というものに憧れる人が多いと思いますが、それで幸せが得られるかというと全く別物の話になってくると思います。
贅沢品というものはよく考えると「幸福度に繋がるのか」という疑問があるのに、お金に執着していてお金を沢山持っている人というのは、その生活を維持するためにお金を稼ぎ続けなければいけません。
お金が無くなることや稼げなくなることへの恐怖も感じることが多いと思います。
ちなみに僕のちっぽけな話ですが、22歳くらいの頃にメルマガで運よく最高月収40万(瞬間最大風速)稼いだことがありますが、その時が人生で一番お金が減ることへの不安が大きかったです。
もし贅沢なものを手に入れてもそこに幸せはなく、あくまでも一時的な快楽なので、もっと上の贅沢を求め続けることになります。
資産家などは若い女性と結婚する人が多く、周りからは羨ましがられたりしますが、若い女性と結婚してもそれは結局その人の魅力に惚れたのではなくお金のために結婚しただけであるし、離婚する確率が高い(というかほとんど)というのが事実です。
お金のためだけの結婚は両者にとって良い選択とは思えないんですよね…。(もちろん子供のためにも)
また、お金を沢山持っていて幸せそうに見える人でもこちらが勝手にそう思っているだけであって本当は幸せではないかもしれません。
フェイスブックやツイッターで金持ち自慢している人も、実はお金を稼ぐために必死で金持ちアピールをしているはず。
お金が無くなることへの恐怖心に捉われてお金を必死で稼いでいるのだと思います。
お金に執着して沢山稼いでも、自分より稼いでいる人・自分より贅沢している人と比較してしまい、「自分ももっと稼がないと」と強い強迫観念に捉われてしまうことの方が多いように思います。
お金以外の物事でもそうですが、「他人と比較しない生き方(自分がどうしたいか)」をすることで幸せに近づくことができるのだと思います。