こんにちは、あきです。
最近はブログで片付けに関することを伝えるために、風水などの運気を上げる方法についても動画で情報を集めたりしています。
この記事では、そういった風水系の動画で学んだ「運を良くする方法」について書いていきたいと思います。
また、自分の身近な人を見ていて「こういう人は確実に自分で運気を下げている」と思うこともあるので、「運の悪い人の共通点」についても述べていきます。
この記事を読むことで「運のいい人の法則」について理解することができ、自分の生活に取り入れていくことができると思います。
運の悪い人に共通しているたった1つのこと【運の悪い人の法則】
運の悪い人は決まって、「自分は運が悪い」と思い込んでいます。
これは別に精神論を言いたわけではないのですが、誰にでも平等に良いことと悪いことはあるはずなのに、「悪いこと」にしか目を向けいないことが多いです。
そこが大きな間違いであることに気付けるだけでも運気をアップさせることができるように思います。
運気は本来、誰にでも平等にあるもの
実は僕は普段、スピリチュアルや風水のことはあまり信じていない人間です。
片付けをして汚部屋を脱出してからは、少し信じている部分もあります。
誰にでも良いことが続いて起こることがあるし、悪いことが連続して起こることもあります。
大数の法則というものがあり、オンラインカジノなんかでルーレットをやると、赤が連続して10回続くことなんてよくあることです。
その逆もしかりです。
僕は3年間くらいオンラインポーカーに熱中していた時期があるのですが、連続していいカードが来るときもあれば、一向にクズ手しか来ないこともあります。
10ゲーム中3回くらいAが2枚来たこともあります(ゲームの序盤では一番最強の手)
「エース2枚が連続して来るなんて運が良い」と思うかもしれませんが、数を多くこなしていればこういったことは全然珍しいことではありません。
ちなみにお金は全然使ってないよ(;^ω^)
それを実力でプラス収支にしていくのがプロや副業で稼いでいる人たちなのですが、そういった人たちでも1年単位で見ていかないと運に対抗することはできません。
プロでもマイナスの月はよくありますし、スピリチュアルや風水の情報を発信している人でも波というものは必ずあるものです。
海外のポーカーは日本のポーカーとルールが全然違うよ( ̄▽ ̄)
オンライン専門のトーナメントのプロなんかは分散が激しいので、マイナス100万円の月なんかも珍しくないです。
それを年単位でプラス1000万円とかにするのがプロですが、中々険しい道なので普通に仕事をして稼いだ方が効率的かもしれません。
ちなみに、「運のいい人=ギャンブルが強い人」では無いので、そこを履き違えないで読み進めて頂ければと思います。
なので、誰にでも連続して起こることがあれば、悪いことも連続して起こることがあります。
しかし、意識して運を良くしている人はその「運の波」というものを小さくできますし、運の悪い人に比べて、良いことの方を多くすることができます。
以下の項目で述べていきますが、不運だと言って嘆いている人は、身近に起きた良いことに気付けていないだけで、実際には良いことも起きているはずです。
その「身近に起きている良いこと」に気付くことでさらに良いことが引き寄せられます。
そこに気付くことができれば運気は上がるはずです。
【超重要】運の悪い人が陥っている罠【悪循環】
この項目で述べることは、僕がこの記事全体で伝えたいこと全てだと言っても過言ではありません。
これを伝えたいがために、「運を良くする方法」とか言って記事を読んでもらおうとしていたりします。
僕の母はダスキンから渡される冊子のようなものにある、ダスキン創業者の書いた「燈々無尽(とうとうむじん)」という項目をよく読んでいるらしいのですが、そこに良いことが書いてあったので以下に引用したいと思います。
燈々無尽とは、「可能性を信じて努力を惜しまないこと」だそうです。
人生には運、不運があり、
不運だといってなげいている人は、
不運であると悲観的に考えすぎて、
ますます自分を
みじめにしているのです。
幸運なチャンスも不運なことも、
誰にも公平にやってくる。
賢明になれない、
強くもなれないなら、
弱いままで悲しいままで、
泣きに行く所を持つべきです。
母が僕にこれを見せてきたキッカケとしては、まさに「僕のおじいちゃん(父方)がこういう人だから」です。
年金を毎月24万円ほどもらえて、「一人じゃ寂しいから」と言うおじいちゃんに気を遣って父(次男)が愛媛の方に家を購入し、先に母と僕(孫)が一緒に住んでいます。
それにも関わらず「いいことが無い」「楽しいことが無い」が口癖ですし、いつも口を開けば文句か足りない物に目を向けるか過去の栄光にすがっているかです。
自分の幸福に気付いていないことこそが「不運」です。
「自分がいかに不幸か」という不幸自慢をしたり、「死にたい」とか言っていたり、「なんで自分だけこんな不幸な目に遭うの」とか嘆いている人にはこういった言葉は届かないと思いますが…。
まさしくツイッターなんかで死にたいとか自殺したいとかいうツイートを連投している人にそのまま言ってやりたい感じです。
そして、そういった人たちを囲ってワンチャン狙っている男の人たちや慰めあっている人たちにも言ってやりたい。
僕は過去にツイッターでメンヘラや刺青の人たちに超正論を言い返してしまって集団でネチネチと嫌がらせを受けたり、お互いに慰めあっているのを何度も目にしましたが、こういった人たちはまさに「泣きに行く所」を持っているのだと思いました。
「賢明になれない、強くもなれない」から、不幸である(と思い込んでいる)お互いを慰めあっているのだと思います。
また、そういった「慰めあう行為」に対して一つだけ言えることは、「果たしてそれで幸せかどうか」ということです。
ますます自分で自分を追い込んでいるようにしか見えません。
自分がそれで満足した人生を送れているのであればいいのですが、こちらに被害を与えない範囲でお願い致します…。
自分で自分のことを不幸だと思っている人って、結構突っかかってくるんですよね…
運気の高い人が離れて、運気の低い人が寄ってきそうですね…
他人に反応させられる人生は決して幸運とは言えません。
運を良くするには、未来の不安に囚われてはいけない

「自分は運が悪い」と言っていると、本当に運が悪くなってしまいます。
多くの人は、周りから実際に起きるか分からないことを「こうしておかないと困るぞ」と言われることが多いと思います。
日常的にネガティブなことを考えてしまう習慣が身についていることがほとんどです。
「今どき大学を出てないと将来困るぞ」と言う人がいますが、具体的にどう困るのか分かりませんし、果たしてその人自身が良い人生を送っているのかという疑問が浮かびます。
ちなみに、僕の父(地元の国立大学出身)は僕のことを大学に通わせてくれましたが、「大学に行け」ということは特に言われたことがありません。
「大学は行かなければいけないものではない」ということも言っていました。
実際に大学に通った身であり、会社でも優秀な大学を出た人たちを見てそう言っているので、非常に信憑性があると思っています。
大学に行くことを楽しく感じる人や学ぶことが好きな人は大学に行くべきですが、嫌々大学に通ったり後ろの席で寝ているような人は大学に通ったところで将来困るのは見えています。
そもそも、自分で運がいいと思い、常に自分が幸せだと感じる道を選んでいれば、困らないようにできています。
損得勘定や未来の不安に囚われて物事を選択する方が、運は悪くなってしまうように思います。
「本当に困るのではないか」と思っているから本当に困ってしまいます。
僕の怠惰でどうしようもない生活でも、困らないと思っていれば意外と困らないものです。
「自分は運がいい」と思い込むことをしている人は少ないはずです。
しかし、「運がいい」と思い込むのはお金が掛かるわけではないので、実験的にやってみてもいいのかなと思います。
運気を上げるには、「自分」を知る

同じような人状況にある人でも、自分は運がいいと思う人と悪いと思う人に分かれます。
それは、「お金があれば幸せ」と感じる人はお金がたくさんあれば幸せを感じるかもしれませんが、家族が欲しい人がいくらお金を持っていても幸せだとは感じないし、10億円持っていても「自分は運がいい」とも思わないはずです。
結局、「自分は何があれば満たされるのか」ということを分かっていれば、運気を上げることができます。
「自分は何を求めているのか」を知ることで、運気を上げるスタートラインに立てるのだと思います。
先ほどにも出てきた通り、周りの人の言うことが自分の幸せとは限りません。
大学に通うことで幸せになれる人もいれば幸せになれない人もいます。
東大を卒業した人でも華々しく活躍してる研究者もいれば、肉体労働をして「東大を出たのにいいところに就職できなかった」と後悔している人もいます。
親や先生に強制されてやるのではなく、自分の素直な気持ちで決めることが大切です。
「こうでなきゃいけない」という固定観念を捨てれば余裕ができるし、運気もアップするはずです。
お金が無くても楽しく過ごしている人がいる一方で、いくらお金を持っても人生楽しくないと思っている人がいます。
また、人をバカにしている人に成功者は少ないそうです。
バカにされている人の方が成功者が多い傾向にあるらしいです。
人から見下されたり天然な人の方がいざという時に助けてもらいやすいですが、いつも人のことをバカにしている人には敵が多いのでいざという時に助けてもらうことができません。
なので、常に自分の決断した物事に熱心な人や世の中に貢献しようとしている人は、その過程ではバカにされることが多いかもしれませんが、人のことをバカにしないで自分のことに一生懸命な人はいざという時に手を差し出してくれる人がいるように思います。