こんにちは、あきです。
会食恐怖症とは、簡単に言うと人前で食事ができなくなることです。
ただ、会食恐怖症と一口に言っても、人それぞれ症状や重さは異なります。
僕は社会不安障害(対人恐怖症)という病気の症状に初めてはっきりと気が付いたのが中学1年生の頃でした。
始めて気が付いた社会不安障害の症状というのが、「会食恐怖症」というものです。
引きこもりニートなので外で食事をする機会は少なくなりましたが、今でもまだ会食恐怖症の症状には悩まされています。
僕が抱えている会食恐怖症の症状は世間で言われている症状とは異なるものも多いと思います。
この記事では、僕と似たような会食恐怖症の症状を抱えている方や「自分は会食恐怖症なのではないか」と悩んでいる方のために、僕が実際に経験してきた症状についてできる限り書いていきたいと思います。
また、会食恐怖は社会不安障害の症状の一つなので、会食恐怖症の症状が酷い方や社会不安障害の疑いがある方は以下の記事を読みながらセルフチェックとしてお使い頂ければと思います。
会食恐怖症とは?どんな症状が現れるのか?【15年間の経験談や原因について】
まずは僕が現在に至るまで、人前で食事をするとどのような症状が現れるかについて書いていきたいと思います。
会食恐怖症になる決定的な原因も分からないし、自分でも全くコントロールできない症状に襲われるし、周りにも笑われるので本当に辛いものです。
僕がはっきりと会食恐怖症の症状が現れたのは中学1年生の頃ですが、今思い返すと小学生の頃からおかしいと思う節があるので、小学生の頃から遡って詳細に書いていきたいと思います。
会食恐怖症になった原因の一つは小学生の頃の学校給食かもしれない
最近は給食ハラスメントによって会食恐怖症になる人も少ないくないそうです。
給食ハラスメントというものは僕が会食恐怖症になった原因のうちの小さな一つかもしれないですが、小学生の頃というのは僕が持っている社会不安障害という病気が悲鳴を上げだした時期かもしれません。
小学1年生の2学期に新しい小学校に転校したのですが、転校した初日の給食の時間に突然泣き出してしまいました。
今でもその時の光景を鮮明に覚えていますが、誰かに何かをされたわけでもなく、みんな普通に給食を食べて始めている時でした。
明確な理由は今でも分かりませんが、机を合わせ、給食を配り終え、周りの人が食べているのを見た直後に気持ち悪くなったのを覚えています。
不安も一気に高まり息苦しくなりました。
決して「汚い食べ方をしている人がいた」というわけではありません。
その日は給食を一切食べることができませんでした。
小食で牛乳が嫌いだったのですが、小学校の低学年の頃の先生は以下のような条件を出していたので、泣きながら牛乳を飲んでいた記憶があります。
- 給食は残してはいけない
- どうしても食べれない場合は残してもいい
- 牛乳は全部飲まなければいけない
問題は小学校の高学年になってからで、給食を残すことは何が何でも許されませんでした。
小学校4年生くらいまでは「食べれない人はあらかじめ量を減らしてもいいけど、減らした後は絶対に残してはいけない」という感じだったのですが、小学校5、6年の先生は以下のような感じでした。
- 食べる量は全員一緒
- 絶対に残してはいけない
- 食べ終わるまで昼休みは絶対に無し
- 残さず食べるか監視される
それが毎日プレッシャーで、給食の時間になると心臓がバクバクし、吐き気もしてきて精神的におかしくなりそうでした。
ある時それが爆発してしまい、突然泣き出して先生に何を言われてもその日は絶対に食べなかったことがあります。
あまりに辛かったので家に帰ってから母親に相談すると、意外にも僕の味方になってくれて、先生に電話をしました。
すると次の日の給食になると、コロッと人が変わったように、無理しなくていいからと言われました。
この記事を書く上で知った言葉ですが、このように完食を強要する行為を給食ハラスメントと言います。
そして、このように学校の先生や両親から完食を強要されて会食恐怖症になってしまう人も結構いるみたいです。
会食恐怖症の明確な症状で悩み始めた中学生時代【体の硬直、震え】
小学校ではお昼ご飯の時間になるとみんなで机を合わせて給食を食べていましたが、中学校でもお昼ご飯になると机を合わせてお弁当を食べていました。
中学校になって一つ変わった点と言えば、机を合わせると必ず女子と向かい合わせになるというところです。
それまでは男女を特に意識したことは無かったのですが、会食恐怖症の症状を自覚し始めてからは目の前の女子がすごく怖くなり始めました。
お弁当を食べるときに周りのみんなは普通に箸で食べ物をスムーズに口に運んで周りとしゃべりながら楽しそうに食事をしていました。
しかし僕はといえば、周りの視線が極度に気になり、食べる動作を行うことが中々できませんでした。
会食恐怖症の症状に初めて気が付いたのは中学1年生の頃(割と最初の方)で、ある時普段通りお弁当を食べている瞬間に以下のことに気付きました。
- 「食べ方が変に思われていないか」と周りからの視線が極度に気になっていた
- 食べているとき、誰かがこちらを見ていないか常に警戒していた
- 突然何か嫌なことを言われるのではないかとビクビクしていた(お弁当の中身について何か言われないかなど)
- 食べようとすると手や首が震えたり体が硬直し、食べ物を口に運ぶ動作がどんどん遅くなっていった
- 食べ物が飲み込みづらい
それに気付いたときからは、日に日に会食恐怖症の症状が酷くなっていきました。
一度気になったり恐怖感に襲われてしまうと、中々そこから抜け出すことができません。
毎日お弁当の時間が苦痛でした。
食べようとするとと首から上がブルブルと震え、体が固まってうつむいたまま動くことができなくなります。
汗も結構かいてくるし、首が動かないので食べ物もなかなか飲み込めないしで、その場にいることはとにかく息苦しいものでした。
なぜそうなってしまうのか原因が分からないし、社会不安障害という病気があることなんて当時は分かっていなかったので、戸惑いつつも単に自分の甘えや考え方がおかしいからだと思っていました。
体が硬直して食べ物を口まで運ぶことがなかなかできず、手や首から上がブルブルと震えながらもゆっくりとしか食べれなかったので、特に向かいにいる女子たちによくコソコソと笑われていました。
女子同士でコソコソと話しているのを聞こえることがしょっちゅうありました。
僕と同じ班だったうるさい女子が周りにどんどん広めるので、近くの人たちも僕の食べ方に注目し始めたりして余計に辛い時間が流れていました。
周りの人たちは普通に食べているのに、自分だけ当たり前のことができなくて「自分はおかしい」と責めてしまうのに、周りからおかしいという目で見られてしまうと余計に「自分ってやっぱりおかしいんだ」と責めてしまいます。
もちろん、自分には普通にできるのにその当たり前のことをできない人を見たら、不思議がったり面白おかしく見てしまうのは仕方ないです。
会食恐怖症になったのは小学校時代の給食ハラスメントや中学校時代のお弁当の時間が原因だとは思いませんが、生まれつきの社会不安障害という病気の土台の上にそういった出来事が積み重なると余計に症状が悪化してしまうのかなと思います。
あと、席替えをする前の班のときに一人の女の子がお弁当の中にゼリーを持ってきていたので、次の班になったときに僕も大丈夫だと思ってお弁当にゼリーを入れていきました。
ちなみにこれです。
すると案の定と言いますか、同じ班の女子が大声で「えっ!えっ!それ何食べてるの!?」と公開処刑みたいな感じで注目を集めてきてそれも地味に嫌でしたね…。
中学、高校の頃って少しでも人と違うことをしたり違うものを使っていたりするとメチャクチャ言ってきますよね…。
会食恐怖症の症状による辛い大学生活【割と惨めな話です】

高校生の時は机を向かい合わせにしてお弁当を食べるということがなく、基本的に一番左端の席であることが多かったので、窓の外を眺めるふりをしながら食べていました。
それでも、クラスに3、4人ほどちょっかいをかけてくる人がいたので、お弁当を食べている時に真横に立たれたり見られたりしているときは本当に地獄の時間でした。
それでもなんとか高校時代は、中学時代に比べると会食恐怖症の症状が周りに露骨にバレることがなく乗り切れたかなと思います。
もちろん、社会不安障害の症状によってその他の生活においては支障をきたすことは多々ありましたが…。
大学生になったら中学や高校のような堅苦しい環境でごはんを食べなくて良いというイメージがあって少しホッとしていたのですが、現実は全く違いました。
一人暮らしをするアパートを自分で決めなかったのも悪いのですが、両親が調べてとある食事付き(朝と夜)の寮を見つけ、「ここだと安心だね」と二人だけで盛り上がり、言われるがままにその寮に住むことに決まりました。
僕が4年間住むことになった寮の食堂を載せておきます。

ちょっと画像だとわかりにくいですが、すごい開放感のある場所で360度すべての角度から食べているところを見られます。
画像の右手の方は全てガラス張りで外から丸見えで、手前の方は厨房でおばちゃんたちがいます。
そんな状態なので、会食恐怖症の症状はさらに酷く現れ、以下のような症状が常にありました。
- 心臓がドキドキする
- 食べ物がのどを通らない(通りにくい)
- 食べ物を口に運ぼうとすると首から上がブルブルと震える
- とにかく動けなくなる
- 水が飲めない(水を口元まで持っていくことができない)
どの時間帯に行っても人が多く、ある時から僕は食堂が閉まる20~30分ほど前に行くようになりました。
その時間帯がまだマシな方だったので、部屋で待ってから時間ギリギリに行き、端っこの席に座ってずっとうつむきながら何とかして急いで食べていました。
もちろん、「もうちょっと早く来てちょうだい」と管理人さんや食堂のおばちゃんから苦情を言われることがありましたが、「そんなことに構ってられるか!」という状態だったので、いつも通り行くか少し早めに行くか食べに行かない日もありました。
食事代は毎月25,000円だったと思います。
僕は朝は完全に起きれなかったので、朝ご飯はほとんど食べに行ったことがなく、夜ごはんは精神的に辛くて食べに行けないときは家にあるものを食べていました。
大学3、4年生の頃はほとんど夜ごはんも食べに行けなかったと思います。
その寮の食事代25,000円は奨学金から払っていたと思うので、ほとんど無駄にしていた食事代25,000円の分を現在返していると思うと泣けてきます。
他の人から見れば大学生の時に朝と夜に食事が付いている生活なんて羨ましいと思うかもしれませんが、会食恐怖症である僕にとってはそれほど地獄の4年間でした。
お昼ご飯も最初はなんとか学食で食べていましたが、やはり学食でも人が多い上に食べている最中に常に周りに人がいる状態なので、ほとんど行けなくなりました。
3時間目の授業が無い日はラッキーで、急いで自転車で家に帰って急いでごはんを食べて、これまた急いで自転車で学校に戻っていました。
3時間目の授業がある日は何も食べないでずっと家に帰るまで耐えていました。
冬になると自転車で家に帰ることができないので、わざと3、4時間目の授業をあまりとらないようにして人がほとんどいない時間帯を狙って学食に食べに行ってました。
それでも数人は人がいたり、学食のおばちゃんがいたり、学食を通ったりする人もいるので、食べるのにはかなり苦労していました。
冬に次の授業まで中途半端に時間が空いた時などは、飲まず食わずでトイレに籠って時を待ち続けました。
こんな惨めな話は一生自分の心の中に留めておきたかったのですが、やはり両親や病院の先生にもこういった症状があったということは詳細に伝えておきたいですし、できる限り多くの人にこんな病気があるということを知って欲しいという思いで書かせて頂きました。
僕は大学生の時には両親に社会不安障害や会食恐怖症を理解してもらうことはできませんでしたが、この記事を読んでいる学生の方はなるべく早めに両親の理解を得てほしいと思います。
僕も両親にそこそこ理解してもらえるまで時間は結構かかったと思うので大変だと思いますが、やはり常にSOSを出し続けるということは大切だと思っています。
会食恐怖症の症状が酷くなると、家族との食事でも飲み物を飲むことができない
その頃には会食恐怖症の症状が結構悪化していたので、週に一度両親と外食をしたり、実家に帰って一緒に夜ご飯を食べたりしたときに、食べ物を口に運ぶ際に結構首から上がブルブルと震えていました。
それまでは家族と一緒に食事をするときは、学校などで食事をするときほど緊張せずに食事することができていたのですが、その頃は家族と一緒でも結構食べるのに苦労していました。
僕は食べる動作以上に飲み物を飲むことの方が難しく、両親の前でも飲み物を飲めないことが多くなりました。
24歳くらいから心療内科に通い、それと同時に実家で家族と一緒に暮らし始め、病気のことも割と受け入れられ薬も飲んでいるので、最近は家族の前では普通に食事をしたり飲み物を飲むことはできています。
それでも外食のときには家族が一緒にいても、酷い時には飲み物を飲むことが結構キツイときがあります。
最後に
高校生の頃に初めてはっきりと気が付いたことなのですが、夜ごはんをお腹いっぱいまで食べてなくても吐き気がすることがよくありました。
ある時、学校から家に帰ると吐き気のようなものが頻繁に起こりました。
今でもあるのですが、何も無いタイミングでも起こるし、外から家に帰ってきたタイミングだとよくあります。
まだ社会不安障害や会食恐怖症という言葉を知らない頃、このことを何気なく母に話すと、「精神的なものじゃない?」と言われたことがあります。
今思うと本当にその通りだと思います。
こういった症状は自分でも結構見逃してしまうかもしれませんが、ちょっとしたことでも自分の体の異変に気が付いたことなどがあったら、すぐ家族に相談したり、病院に行ってみて下さい。
早めに会食恐怖症の症状に気付ければその分治りも早くなる確率が高くなるはずなので、まずはメモするだけでもいいので、少しでもおかしな症状があったら早めに気付いてほしいと思います。
会食恐怖症は社会不安障害という精神疾患の症状の一つなので、以下の記事も参考にしてみて下さい。
