こんにちは、あきです。
社会不安障害(対人恐怖症)の僕が実際に経験したいじめの体験談について書いていきます。
この記事のタイトルでは「壮絶ないじめエピソード」などと書いていますが、当時の僕は「いじめ」だという意識が全くありませんでした。
学生時代はいじめを受けたり、底辺的な立場が当たり前の生活だったので…。
最初に書かせていただきますが、あくまで文章で伝える形なので、当時のいじめの壮絶さの50%も伝わらないかもしれませんが、「こんなことがあった」ということが少しでも伝われば嬉しいです。
社会不安障害(対人恐怖症)の僕が小学校から高校までの間に受けたいじめでどんなエピソードがあったかについて書いていこうと思っています。
グレーゾーン、もしくは世間的にはいじめと呼べるような大したものではないものも含まれるかもしれませんが…。(自分がいじめではないと思っているだけかもしれませんが…)
下の「いじめの定義について」の項目でも述べているように、本人が精神的に苦痛を感じていればそれは立派ないじめなので、僕がいじめだと感じたことをこの記事で全てぶちまけていきたいと思います。
僕は社会不安障害という病気で、あらゆる対人関係において常に恐怖を感じ、ごくごく普通の日常生活を送ることができない人間です。
社会不安障害がはっきりと発症したのは中学1年生の頃です。
他の記事でも書いているのですが、あくまで僕の場合はいじめだけが原因で社会不安障害になったとは思っていないです。
しかし、社会不安障害になる人は、いじめや対人関係でのトラウマなどが原因で発症してしまうケースが約半数以上らしいです。
いじめやパワハラをする側の人は自分のストレスをぶちまけて多少は心が落ち着くと思いますが、被害者にとっては多大なダメージとなり、精神疾患に繋がってしまうことも少なくありません。
僕は幼い頃から人に恐怖を感じたり劣等感を強く感じる傾向があり、小学校から大学生までの嫌な出来事やいじめなどは症状が強くなった一つの要因だけでしかないと思っています。
トラウマとして強く残っており、今でも夢に出てくることは事実ですが…。
僕は昔から舐められやすいタイプで、「ある特定の人たちに長期間に渡っていじめを受けた」ということは無いと思うのですが、小学校~大学、そして割と最近に至るまであらゆる人から差別されたり、危害を加えられたり、精神的苦痛を与えられたりして精神的・物理的に被害を受けたことはたくさんあります。
当時はいじめと思っていなかったことが、今思うと「もしかしていじめだったんじゃないか」と思うこともあります。(これが結構ある)
僕はつい最近まで「いじめ」というのは、ニュースやドラマで見るような以下のようなものに限られるのかと勝手に想像して(というより洗脳されて)いました。
それ以外をいじめと言ったら、「被害者面するな」と言われると思っていました。
- 集団にリンチされる
- たばこの火を体に押しつける(根性焼き)
- クラス全員から無視される
- 靴の中に画びょうを入れられる
いじめに大小なんかなく、やられた方は精神的にも物理的にも傷つきますから、やはり「そんなことで」と片付けてはいけないです。
僕が受けたいじめだけではなく、同級生が受けていたいじめについて僕が感じていた正直な感想も書いていきたいと思います。
ちなみに、僕はいじめの傍観者についても思うことがありますが、それは別の機会に書いていきたいと思っています。
また、社会不安障害の僕が今まで見てきた以下のような人たちの異常な心理についてもできるだけ詳しく書いていきたいと思います。
- いじめる側の人
- 自分より弱い人間を見つけて安心する(そう思っているだけ)
- いじめをするいじめられっ子
- 常に人の悪口や暴言を吐く人
これは皮肉を込めて言うのですが、いじめる側にも可哀そうな人はたくさんいます。
加害者のことなので言葉を選ばずに言いますが、僕が見てきたいじめっ子は片親がいなかったり、親が異常に厳しかったり、勉強や部活動のプレッシャーが強い人が多いように感じます。
片親がいなくても、親の教育が異常でも本人の努力で真っすぐに育っている人もいると思いますが、やっぱり加害者の紐を解いていくと、そういったケースが多いように感じます。
親が居なくても親から強く当たられていても勉強や運動が大変でも、いじめをしていい理由にはなりません。
「いじめられる側にも問題はあるのか」についての記事も書いているので、良かったらご参考下さい。
【対人恐怖症】社会不安障害の僕が経験した壮絶ないじめエピソードについて【小学校編】
社会不安障害(対人恐怖症)の僕が経験したいじめエピソードについて書く前に、まずはいじめの定義について説明します。
いじめの定義について
いじめについて、文部科学省は以下のように定義しています。
【平成18年度からの定義】
本調査において、個々の行為が「いじめ」に当たるか否かの判断は、表面的・形
式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うものとする。
「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理
的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。
なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
※ いじめ防止対策推進法の施行に伴い、平成25年度から以下のとおり定義されて
いる。
「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい
る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な
影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該
行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こ
った場所は学校の内外を問わない。
「いじめ」の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察
に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は財産に重大な被害が生
じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。これらについて
は、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、
警察と連携した対応を取ることが必要である。
文部科学省のホームページにあるPDFから引用させて頂きました。
「いじめ」と聞くと、加害者や傍観者は「それはいじめじゃなくてただふざけてただけだ」とか「ちょっとからかっただけだ」という人がいますが、文部科学省も定義しているように、本人が特定の人(もしくは複数人)から精神的・物理的にダメージを与えられ、精神的な苦痛を感じていればそれは立派な「いじめ」だと言って問題ないと思います。
いじめの被害について加害者や傍観者が勝手にいじめの定義を決めるものでは無いです。
いじめを受けている本人が苦しいと感じているのならそれは事実であり、外野が真っ向からそれを否定するべきではありません。
小学校時代、先生にいじめの相談をしたら…
この項目での登場人物
- 後藤S君⇒とにかくうるさい。人の悪口や嘘を周りに言いふらす子
- 高田Y先生⇒言いたいことはすぐ口に出し、ガサツでうるさい先生
小学5年生に上がり始めたばかりの頃、僕は教室の前で怖くて立ちすくんでいたのを今でも覚えています。
廊下からずっと恐怖で動けずに教室の中を見ていると、まるで猛獣が暴れているかのようにみんなあちこち走り回ったり、大声で叫んでいたり、グループで固まってゲラゲラ笑っていたりと。
小学生というのは大体そんなものだと思うのですが、僕は元々人が怖くて怖くて仕方ない性格だったし、小学校4年生までの頃のクラスの雰囲気と大きく違っていたので、すごい衝撃を受けていました。
クラスの大半が結構うるさい人で、僕は大人しかったので余計に浮いていたのですが、それでもまだ小学生の頃だったので、数人の人とは仲良く遊んでいたりしました。
ただ、その中によく僕や周りの人にちょっかいをかけてくる子(以下、後藤S君と書きます)がいました。
僕は特に、一番目を付けられてよく被害に遭っていました。
後藤S君は自分より弱い立場の人には強気になって偉そうにするのですが、自分より強い立場の人(いじめをする側の人や運動ができる人)にはすごい顔色を伺っているのが誰の目から見てもよく分かりました。
そのストレスからなのか、自分より弱い立場の人(何も文句を言わないような人や自分より劣っていると勝手に判断している人)に対して強く当たっていました。
小学5年生の時に、僕はもういい加減我慢の限界で、よくちょっかいをかけてくるS君に、いい加減にしろよという意味を込めて一度だけやり返したことがありました。
そして、帰りに職員室に行って担任の先生(以下、高田Y先生と書きます)に泣きながら相談したことがあります。
高田Y先生は、すごいガサツでうるさいけど教育熱心な感じの先生でした。
普段はうるさくてよく生徒のことをからかったりする高田Y先生でもその時ばかりは静かに聞いていました。
…
というか、今思うとただただ無反応だったような気がします。(相槌も打っていなかったので)
普段はすごいうるさい体育会系の教師なのに…。
次の日からも何事もなかったかのように、相変わらず後藤S君は毎日ちょっかいを出してきたので、高田Y先生は何も言っていないと思います。
もし先生が後藤S君に「やめろ」などと言っていれば、少なからず「お前、先生にチクっただろ」とか言ってくるはずなのに、それがなかったわけですから。
僕が後藤S君からよく言われていたのは、「あの時痛かったなー」です。
自分は普段から散々叩いてきたり人の悪口や嘘や恥ずかしいことを他の人に言いふらしたりしているのに、一度やり返しただけでそんな感じです。
しかも、僕がやり返した時だけなぜか周りの傍観者たちもその子を守って僕のことを必死に止めていたので、こんな理不尽な考え方が定着していたらいつまで経ってもいじめは無くなるはずないなと思います。
「こちらがいじめられている時にも同じように止めてくれよ」と思うのですが…。
いじめの世界はこんなもんですね。
僕はもうこの頃には、先生に相談しても無意味なんだと感じていました。
小学校3、4年生の頃にも別の子によくちょっかいを出されていました。(そんなに親しくない人にもこの頃からよく狙われています)
僕が泣いていたら周りのみんなや先生(担任の先生ではない人)が集まってきて、僕が泣いていて何も言えないでいると、その子は自分の都合のいいように嘘をでっちあげて「自分は悪くないけど勝手に泣いてしまった」ということを先生に伝えていて、先生が僕に言った一言が強い口調で「ねえ、泣けば済むと思ってるの?」でした。
直接話したことなどは無かったのですが、普段から授業中や他の生徒と話しているときは穏やかで優しい先生だと思っていたのに、急にそんなことを言われたので、今でも強く印象に残っています。
何もないのに勝手に泣くわけがないだろと思うのですが。
クラスのいじめられっ子にいじめを受けていた小学校5、6年の頃のエピソード

この項目での登場人物
- 小田島Y君⇒いじめられっ子で、僕のことをいじめていた子
僕が小学校5年生の途中ぐらいのときに、転校生がやってきたことがあります。
転校生がいじめられるという話はよく聞きますが、その子(以下、小田島Y君と書きます)の場合はちょっと特殊だったと思います。
ちょっと曲者で、大人の前では異常に礼儀正しく振舞ったり、お世辞を言ったりして良い子を演じるのですが、先生たちがいない普段の生活などではとても偉そうで、常に調子に乗っているタイプでした。
正直なところ、目を付けられてもおかしくないなというタイプでした。
あとは、太っていたこともいじめのターゲットになった一つの大きな要因だと思います。
小田島Y君は水泳を習っていて、自分は泳ぎが得意だと常に自慢げに言っていたのですが、それとは矛盾してだらしない体型だったからだと思います。
僕も、「俺が毎日泳いでる距離はお前には無理だな」と言われたこともあります。
小田島Y君は転校してきて割とすぐにいじめられ始め、6年生の終わりぐらいまでいじめられていたと思います。
小田島Y君がいじめられていた内容としては、以下のようなものです。
- クラスの大半の人から無視される時期があった
- クラスのみんなに掃除の時間に机を運んでもらえない(僕が運んでいました)
- いじめっ子たちに悪口をよく言われていた
僕はいじめに加担したり傍観したりということが嫌いだったので、小田島Y君と一緒に帰っていたのですが、その時間というのが毎日地獄の時間でした。
僕はいじめが嫌いで自分は絶対にいじめる側にも傍観者にもなりたくないと思っていたので、帰宅途中に聞けることは聞こうと思っていました。
「俺、転校しようかな」とか「俺は別に悪いことしてないのに何でいじめられるんだよ」とか小田島Y君の話を聞くのは別によかったのですが、そんなことを話しながら僕の倍近くあるどっしりとした体で僕の肩全体に乗っかりながら歩き、僕の足を蹴りながら歩いていたので、それが毎日苦痛でした。
僕はそれをいじめだとは思っていなかったのですが、あるとき買い物帰りの母が後ろからその光景を見ていたらしく、明らかにその様子はいじめにしか見えなかったようです。(最近になって初めて聞いた)
その時の母は、僕が余計にいじめられないようにと思ったようで、「あき!」と声をかけるだけに留めたそうです。
今でも母はその判断が正しかったのかは分からないそうです。
僕もどういった対応が正しいかは永遠に結論を出せるようなものではないと思っています。
そして、母が「あき!」と僕のことを読んだ瞬間、小田島Y君はすばやい動きで僕の足を蹴るのをやめ、僕の肩に乗っかっていたのもやめ、僕の母に礼儀正しく挨拶をし、「あき君とはいつも仲良くさせて頂いています」と小学校5、6年生とは思えない言い方だったそうです。
ちなみに、小田島Y君とは中学生になってから一度も話したことが無いのですが、廊下ですれ違う時に急にお腹を殴られたりしたこともあります。(もちろん周りはスルー)
小田島Y君とは中学生になってからはずっと別のクラスでしたが、いじめられていた様子は無かったと思いますが、僕を見るなり無言でお腹を殴ってきたときにはビックリしましたし、今でもトラウマになっています。(実名を公開してやりたいぐらい)
自分ではいじめという認識は無かったけど…【グレーゾーン】

この項目での登場人物
- 阿部K君⇒カッターナイフを5本以上所持し、首を絞めてくるリアル犯罪者予備軍
- 大平H君
- 岸田A君⇒A君とH君は友達で、すごく仲が良い二人
今となっては友達と言えるのか分からないのですが、小学校の5、6年頃に初めて他のクラスに友達というものができました。
今ではあり得ないことですが、他のクラスに話し相手が3人ほどできたことがあります。
しかしその3人がこれまた曲者でした。
- 阿部K君(上の方で出てきた後藤S君の友達)
- 大平H君
- 岸田A君
まずは阿部K君ですが、控えめに言っても犯罪者予備軍と言える、普段から挙動も目つきもかなりヤバい感じの子でした。
背丈もそんなに無く、体格も細い方だったので、強い人にはあまり関わらないのですが、僕みたいな弱そうな見た目の人にはすごく危害を加えてくる子でした。(というか、ほぼほぼ僕だけが殴られたり技をかけられたりしていました)
中学生の頃に初めて知ったことなのですが、阿部K君はお父さんが日本人でお母さんがフィリピン人のハーフだったそうです。(お母さんは昔亡くなったそうです。)
すごく怖かったので僕はあまり関わりたくないと思っていたのですが、上の方で出てきた後藤S君がきっかけで嫌でも関わり合いを持つようになったという感じです。
常にカッターナイフを5本ほど所持していたそうで、一度、小学生の頃に阿部K君と同じクラスの子がカッターナイフでズボンを引き裂かれたことがあるそうです。
僕はよく言いがかりをつけられて、いきなり首を強く絞められたり、首元を掴まれて2階から1階に落とされそうになったりとかよくされました。
後ろからいきなり首を絞められて長時間締め付けられるのとかはよくあり、あれだけ危ないことを悪気なくできてしまうところも結構ヤバイ子だったと思います。
続いて大平H君と岸田A君です。
この二人はいわゆるガンダムオタクで、他の人たちからはちょっと変な目で見られていたような子たちです。
何がきっかけで仲良くなったか覚えていませんが、最初はよく一緒に帰ったりして楽しかったとは思うのですが、いつからか2対1で戦うことが多くなり、背が低く痩せていた僕は2人にあっさりとボコボコにされることがよくありました。
周りからは何も言われなかったし、僕はそれをいじめだとは思っていなかったのですが、何かしら言いがかりをつけられて二人から同時に殴られたり蹴られたり技をかけられたりしていたので、今思うといじめだったと思います。
また、中学1年生の頃から大学までずっと僕に付きまとってきていたブサイク陰キャの奥T君という子がいるのですが、その子に高校生になってから「お前、中学生の時いじめられてたよな(笑)」と周りに聞こえる声で言われたことがあり、いじめだと思ってなかった当初の僕は「え?」という感じでした。
奥T君とは中学1年生の頃は別のクラスだったのですが、同じ卓球部でずっと一人で端の方で座っていた奥T君に気を遣って「一緒に打とうよ」と言ったのが地獄の始まりで、別のクラスだった中学1年生の頃は、その次の日から昼休みになると僕のいる教室にやってきて黙って僕がいじめと言われる行為をずっとニヤニヤと見ていました。
それまでは友達がいたことがないらしく、僕が話しかける前までは昼休みによく一人で教室の貼り紙をずっと見ているのが印象的でしたが、僕という都合のいいターゲットを見つけてからは、僕はよく精神的にダメージを受けていました。
【対人恐怖症】社会不安障害の僕が経験した壮絶ないじめエピソードについて【中学・高校編】
僕が社会不安障害の症状を自覚したのは中学に入ったばかりの頃(12歳の頃)ですが、同時にいじめも多く受けていた時期でした。
社会不安障害だけでも辛いのですが、いじめやナメられやることが多くあったので、精神的にも肉体的にも非常に辛かったのを覚えています。(この期間に、半年~1年ほど気持ち悪いセクハラの被害にも遭っていました)
中学生になり、色々な人からナメられたりいじめられることが多くなった

この項目での登場人物
- 後藤S君(小学校5、6年の頃、僕によくちょっかいを出してきていた子)
- 小田島Y君(小学校5、6年の頃、いじめられていた子)
- 阿部K君(カッターナイフを常時5本以上所持し、よく首を絞めてきた子)
- 大平H君(体格のいいオタク)
- 岸田A君(普通の体格のオタク)
- 奥T君(中学から大学まで僕に付きまとっていた子)
小学生の頃から既にナメられることが多く、上級生などから絡まれたりとかよくありましたが…。
まず、中学生になってからは何かクラスや学年の係になったときにクラスの女子に仕事を押し付けられたりとか、僕と友達が揉め事をしていると聞こえる声で「またくだらないことで揉めてるよ」的なこととか。
僕の代わりにうるさい友達がどんどん僕のことをしゃべるもんだから「自分でしゃべれないのかよ」とか聞こえる声で言われるようなことがありました。
これでさえも結構怖いです。
女子には何かあるときだけ強要されたり責められたりしたということが多かったように思います。
もちろんみんなではありませんが、そういった人たちというのは一定数いるもので、僕がターゲットになりやすかっただけの話です。
中学生、高校生の頃(特に中学生)というのは、「男子」というだけで勝手に毛嫌いしていた人が結構いたように思います。
女子の男子に対する態度や言動というものは割と酷いもので、男子から女子への暴言や悪ふざけも酷かったと思います。
僕の通っていた中学校は僕のいた小学校からそのままあがってくる人が9割ほどで、外部から入学してくる人というのはいなかったので、ここでも再び以下の6名が出てきます。
- 後藤S君(小学校5、6年の頃、僕によくちょっかいを出してきていた子)
- 小田島Y君(小学校5、6年の頃、いじめられていた子)
- 阿部K君(カッターナイフを常時5本以上所持し、よく首を絞めてきた子)
- 大平H君(体格のいいオタク)
- 岸田A君(普通の体格のオタク)
- 奥T君(中学から大学まで僕に付きまとっていた子)
中学1年生になってからは小田島Y君以外の4人と同じクラスになり、阿部K君には中学1年生の1年間、よく急に首を絞められたり技をかけられたりして泣かされていました。
(奥Tくんとは中学1年生になってしばらくしてから出会います。)
もちろん周りの人たちは見て見ぬふりです。
もし一方的にやられていたあれが遊びだと思っていたのなら、完全に頭がおかしいとしか言えません。(こちらは被害者なので、言葉を選ばずに言っていきます)
また、阿部K君はよく虫を捕まえては足を一本一本もぎ取ったり、殺したりして遊んでいましたが、ある日、羽を全部もぎ取ったトンボ(瀕死状態)を僕の背中にこっそりとくっつけていたことがあります。(こんなイタズラは序の口)
その時にも、周りの女子たちはそれに気付いていて、静かに悲鳴を上げていましたが、誰一人として僕にそのことを教えてくれる人はいませんでした。
ちなみにその阿部K君は、当時担任だった女の先生の背中には「彼氏募集中」という冷やかしの紙を貼ってこっぴどく怒られていたことがありますが、相変わらずヘラヘラして、目はイっていて犯罪者のような怖い感じでした。
本当に急に何をしてくるか分からない子でした。
本当に犯罪者になってなければいいのですが…。
中学1年の終わり頃からさらに雲行きが怪しくなり、後藤S君と阿部K君が僕の方を見ながらギリギリ聞こえる声で僕の悪口を言うことが増えてきて、無視もされるようになりました。
今思うとこの時にハッキリとしたいじめらしいいじめが始まっていたように思います。
しかし、中学1年生の終わり頃だったし、阿部K君は2年生に上がる前に別の中学校へと転校してしまったので、そのいじめは自然と無くなりました。
中学2、3年生になってからは後藤S君とも違うクラスになり、一切関わりを持つことが無くなりましたが、廊下ですれ違う時に突然無表情でお腹を殴られるなんてことはありました。(結構痛い)
僕が何も言い返さない(言い返せない)のを分かってやっていたと思います。
他にも上の方で既に書きましたが、小学校5、6年の頃いじめられっ子だった小田島Y君にも、廊下ですれ違うときに急に無表情でお腹を殴られるということがありました。
中学生になってからその二人が話しているところを見たことが無いので、その二人が「あいつのこと殴ろうぜ」みたいな打ち合わせをしていたとは思えないし、僕自身も人に対して何か悪口を言ったり危害を加える人間では無かったので、なぜ二人に同じことをされていたのか未だに分かりません。
ちなみに、「廊下ですれ違いざまにお腹を殴られたときになんでやり返すなり怒るなりしなかったんだ」と言う人がいるかもしれませんが、そもそもそんなことをする側の人間が悪いです。
それに、実際に突然そんなことをされてみると分かりますが、怖さで声も手も出なくなってしまいます。
僕と同じように社会不安障害(対人恐怖症)という病気の方だと分かると思いますが、ただでさえ人が怖くなったり言葉を発することが難しい状況になると、社会不安障害である人はもっと強い症状が出て、声が出なくなったり、動けなくなったり、震えが止まらなくなったりしてしまいます。(動悸も酷くなる)
少なくとも、言い返せるような人は既にいじめる側に回っていたり傍観者であることの方が多いように思います。
色んな人にナメられることが多く、周りに人がいても歩いている時に自分だけ「邪魔だ」と言われたり、プールのシャワーで自分が浴びたばかりでも、列で一番最後尾にいる最後に使い始めた自分だけが「早くしろ」と言われたりとかもよくありました。
急に後ろから叩かれたり、無表情で木の棒で机をドンドンと叩かれたり、ずっと睨まれたり、水道で水を飲もうとしたら後ろから急に肩をがっと掴まれて後ろに倒されたりもしました。
こういったことは、実際にやられてみると分かりますが、怖さで立ちすくみ何も言うことができません。
ちなみに、これらは全員話したことのない人たちで、友達でもなんでもない人たちです。
しかも、こういった明らかにその人が悪いと分かっていることでも周りは見て見ぬふりをしますし、僕のような大人しい人が少しでも反抗をするといじめっ子の味方になって僕のことを責めてくる場合も多数あります。
つまり、抵抗しても勝ち目がないようにそういった空気感が作られてしまっているように思います。
高校時代のいじめ(いじり?)は毎日が精神的なストレス【言い返してもやり返してもNG】

この項目での登場人物
- 奥T君(中学1年生の頃から大学までずっと僕に付きまとっていたデブ)
- 高橋T君(ADHD気味の、落ち着きが無い子)
- 広瀬N君(控えめに言って性格と顔が悪い子)
- 堀野T君(控えめに言ってクラスメイトの多くから嫌われていた子)
まず、僕が3年間地味に嫌だったことから話します。(当時の僕にとっていじめは「いじめではない」と思っていたので、こんなのはまだ序の口でしたが)
高校生になってから、なぜか「鶴」と呼ばれるようになりました。
あだ名というより、からかわれるときにそう呼ばれていました。
最初はみんなニヤニヤしてなかなか教えてくれなかったのですが、どうやら健康診断の時に僕が上を脱いだ姿が鶴みたいだったとのことで、3年間そう呼ばれていました。
もちろん、止めてと言っても止めてくれることはなく、止めてと言えば言うほどしつこくからかってくるし、周りにも広めて外野も一緒になって便乗してくるので、無視するようにしました。
それでも、3年間ほどほどに「鶴」と呼ばれていじられていました。
僕のことを「鶴」と呼び始めたのは高橋T君という子で、僕の右隣の席にいました。
僕のクラスでは先生の方針で3年間ほとんど席替えをしませんでした。
後ろの席には中学1年生の頃に卓球に誘った奥T君がいました。
他にも3人ほど悩みの種が近くにいたので、3年間とにかく最悪のフォーメーションでした。
休み時間に課題なんかやったりしていれば、学年トップの高橋T君が「お前勉強熱心だな!次のテストはお前に負けそうだな!」と皮肉を言ってきたり、広瀬N君に「どうせやっても無駄なんだから辞めろよ!」と邪魔をされたり取り上げられたりしました。(しつこく返してくれない)
もちろん周りが便乗してくるのは言うまでもありません。
嫌な出来事は挙げたらキリがないのですが…、面識の無い他のクラスメイトからも危害を加えられたり嫌なことを言われたりすることが多々ありました。
合宿の時のシャワーやプールのシャワーで、僕は人混みに入っていけないので、最後の方まで待ってやっと自分の番がやってきたのに、並んでもいない人(隣のクラスの子)などから「おせぇんだよ」と聞こえる声で言われたりしました。
知らない人に野次られるのは結構怖いです。
怖さで相手を見ることも言い返すこともできません。(特に社会不安障害である場合には不可能)
全く話したことも何かで関わったこともないのに、その隣のクラスの子にはバスケの時にメチャクチャ叩かれたり、聞こえる距離で悪口を言われたりしていました。
本当に今でも謎ですが、結局いじめる側に理由なんて必要ないんだと思います。
ただ「自分より弱そうな人を見つけてストレスを発散したい」、そんなもんです。
被害を受ける側にとってはたまったもんじゃありませんが…。
修学旅行の食事の時には、複数の人たちで話している時に僕の悪口が始まったりバカにされることがよくありましたが、その際にも何も言い返すことができませんでした。
関係ない人まで「こいつのこういうところが悪い」みたいな話に参加してきたりして本当にメチャクチャ舐められてました。
これが中学生の頃にもあったので、楽しい修学旅行が毎回台無しでした。(もちろんメンバーは全く違う)
大体、広瀬N君が僕の悪口を言い始めてそれに周りが便乗してくるみたいな感じでした。
いつも至近距離で愚痴を言ってくる息の臭い堀野T君や「あそぼー」しか言えない奥T君なんかが一緒になって悪口を言ってきました。
今思うと、いつも気を遣って堀野T君の愚痴を親身になって聞いたり、「あそぼー」かアニメの話しかしてこない奥T君の話を聞いていたことが逆に舐められることに繋がったようにも思いますが…。
堀野T君の愚痴に対して「えっ、それって自分が悪いんじゃないの?(^^;」なんてうっかり本当のことを言ってしまうと、スネをしつこく蹴られたり殴られたりしたので相手の都合のいいように笑顔で聞いているしか当時の僕にはできませんでした。
奥T君の場合も同じで、遊ばなかったりすると陰湿な嫌がらせをしつこくされていたので、こちらが気を遣って遊んだりしていました。
最後に
愚痴多めでまだまだ挙げたらキリがありませんが、この記事は随時更新していく予定です。
いじめエピソードについて思い出したことがあったら追加していきます。(ありすぎて書ききれない…)
また、より鮮明に表現できるようになれたらと思っています。
僕の場合は派手ないじめはあまり無かったように思いますが、陰湿な嫌がらせが多かったので、毎日ストレスが多くありました。
思い出すだけでも結構腹が立ちますが、こうして記事にできたことは良かったと思っています。
この記事の冒頭でも載せた「いじめられる側にも問題はあるのか?」という疑問についての記事をもう一度載せておきますので、ぜひ読んでみて下さい。
